香川県高松市伏石町にある伏石神社は伏石三石神社の第一社になります。
隣には太田小学校があります。駐車場も数台止められるようになっていますので、車でお参りに行くのでも大丈夫ですね。
同じく伏石三石神社である「立石神社」や「居石神社」に関しては空車場がないので注意してください。
伏石神社は、令和3年には180年ぶりに社殿改築が行われました。その改築記念碑もあります。
旧本殿はその棟礼に弘化二乙巳年(一八四五年)六月吉辰とあり、また幣殿・拝殿は明治三十五年(一九〇二年)十二月落成と記される。
長年の風雪に耐えるも、近年その老朽化激しく白蟻による柱への被害も多く耐震危うき状態となる。
氏子総代共にり、今日の基礎と繁栄を築きし先人たちの意思を継承し、令和の新元号を機に、本殿・幣殿・拝殿の改築並びに境内整備等行い、これを次世代に伝えることと舌。氏子崇敬者六百八十余名の奉賛金、壱億四千壱百万円余りの協力を得て、令和元年九月起工式を行う。令和二年一月より世界的に流行した新型コロナウイルス対策緊急事態宣言の中令和二年六月上棟式を終え、ここに竣工となる。
祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命
慶長七年寺島弥兵衛吉長の創建と伝えられ昔から当社東の方立石神社南東の居石神社とともに三所八幡又三石八幡といわれている。
祭神は毒蛇を憎みその危害から人々を守る神として知られている。
今から三百七十七年前慶長六年八月のある晩この村の郷士寺島弥兵吉長は家から南西約三百メートルの林の中から出ているあやしい光を見つけた。不思議に思いながらそのまま寝たがあくる晩もまた次の晩もその光が見えるのであった。不審に思った吉長はその正体を見届けようと家来を連れて林にわけ入った。あやしい光は林の中程にある大きな石から出ておりその石は方一丈余(約三メートル四方、高さ三尺約一メートル)ちょうど伏したような形のもので地面に埋まっている部分はどれくらいあるか想像もつかない大石であった。
吉長は「これはただの石ではない。きっと神様の宿った石で自分を呼びよせるために光を出したのに違いない」と一心に石に祈りそのわけをおうかがいしたのである。神様のお告げは次のようであった。
「ここから三百歩ばかり東へ行くと立石という大きな石がある。松縄村には流石がありまた屋島の麓浦生の海底には鰭石といわれる石がある。この四つの石はどれもみな神の宿る神石である。世の中の人々はこれを知らないから今ここにそのありかを教えておく。これから後は必ず神として年ごとの祭りを怠ってはならぬ」と、吉兆はおそれ多く思いここに社を建て村の産土神としてまつることにした。また立石流石にもお社を建ててまつることになったという。
この伏石神社に大きな亀石と鶴石があります。亀は似ている感じがするのですが、鶴はそんなに似ていない感じがしないでもないですね…。
まあ、縁起物でパワースポットの石で、この石を撫でてると健康・長寿の後利益があるといわれているので、伏石神社に行った時には撫でておきましょう。
寺島家では鬼門には鬼門荒神を祀り裏鬼門には庭園に鶴亀を安置していた。鬼門荒神は寺島家の安泰を守り、鶴亀は長寿を祈念したのである。其後立派な鶴亀は他の家の前に置かれていたが、第十四代政吉氏は伏石神社へ寄進を申し出た。氏子は鶴亀石を受けることとなった。時恰も昭和二年二月吉日であった。亀は神社境内に安置した。鶴は寒川忠五郎氏の顕彰碑の柱石とした。
この度寺島和周先生のご芳志に預かり使途について總代協議の結果鶴石を亀石と並置してはとの結論に達し忠五郎氏の孫清氏の快諾を得て、亀の横へ移すこととなり奇しくも五十五年ぶりに鶴亀は再会することとなった。